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zoom RSS 少年・少女考。

<<   作成日時 : 2006/09/18 12:55   >>

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 昨夜かんなさんと「少年とは何か」「少女とは何か」という話題で盛り上がったので、自分の分をメモしておきます。

 少年は、洟垂れのこどもでもなく、大人のおとこでもない生物です。ただ、微量のおとこ属性は入って良い。後述の少女と違い、少年というのはおとこ属性が入っても構わない分、定義が厳しくないというか、枠が広めです。少年というものは、多少は性的であってもかまわない。若干の分化は可なのです。その分化を可とする心は、女性として少年を考えているために「おとこ性」みたいなものに現実味がない所為かもしれませんし、そもそもの少年性に関連があるのかもしれません。
 理想の少年は、心が空で頭はぎっしりです。時計とか歯車とかまで入ってます。瑞獣のようなもので、半分は空想上の生物です。ただ、物語には出てくるし、演じることもできるし、目撃例もあるし写真もある。ただ、本物を見たと思える出会いがあれば、それは本当にまれな僥倖です。
 まるで瑞獣・麒麟のように速い馬であるところの、馬偏で表す「きりん」がいるように、少年のような少年…という言い方をするとわけがわからなくなるので言い換えて、ええと理想の少年を体現しているように見える「少年と呼ばれる年頃の男性」を見ることはあります。ただの馬が俊足で走ることで「きりん」と呼ばれるように、その年頃の男性がある表情で、ある思考をもって、ある動作で、ある光の当たり具合で存在するとき、その瞬間にだけ「少年」と呼べそうな生物が目の前にあらわれます。それは本当に一瞬のことです。その一瞬を幾度も見せることができれば、その生物はそろそろ「少年」と呼ばれても良いように思います。ただ、その男性はじきに成長して「少年のような瞬間」を失っていき、単なるおとこに成り果てます。それはすぐにやってきます。

 少女は、少年よりも更に難しい存在です。そもそも女性というものは生まれながらにおんなとしての属性を持っているように思います。これは、実際にその通りなのかもしてませんし、女性が考えているから女性性をリアルに感じてしまう所為かもしれませんし、分かりませんが。
 男性がこどもでいる間も、女性ははこどもでいながら同時におんなです。そこからこどもらしさが減り、おんならしさが増えていくだけの話で、こどもとおんなの隙間など存在はしません。少女はそこにはいません。女性は、こどもでいるうちから性的で、嫉妬深く、ずるくていやらしくて、人をそそのかします。(別に悪いことではありませんよ。)
 一般に少女と言われる、「花のような」「初恋に胸をふるわせる」若い女性は、私に言わせれば既に立派なおんなです。とっくに羽化を終えて、ただ羽に残った最後のしずくを払っているだけなのです。しかも、彼女は卵のときも芋虫のときも蛹のときもずっとおんなでした。
 もしも少女がいるのならば、それはこどもがおんなになる過程上ではなく、その周囲のどこか別の空間にいると思うのです。その空間とは、男性の幻想か、せいぜい女性のノスタルジイです。おんなのおんならしさを嫌悪する男性の夢か、成長した女性のきれいに洗われた記憶の中くらいにしか、少女はいないと思うのです。
 理想の少女は、心は空かほんの少しの透き通ったものでできていて、頭は小鳥ほどの思考でできています。(私はこの状態を端的に表す言葉を知っていますが、はばかられるので使いません。) 従順で、すかすかで、妖精か人形のようで、もはや生物かどうかも分からない、視界を横切る光の反射のような存在です。
 女性が少女に見える瞬間は、男性が少年に見える瞬間よりも更にまれです。少女という存在は、おんなとしての性が見えないほど透明でありながら、成長期初期の女性独特の身体を持っていなくてはなりません。それでいながら、あと一歩で少年に間違われるくらい、おんなを消さなくてはなりません。成長期の女性の残像か、ちらりと鏡に映った影、のようなものが少女です。それを、妖精をつかまえるほどの慎重さでつかまえることができたら、そろそろ存在するのかどうかも分からなくなってきた「少女」というものの存在を、立証することができるように思うのです。
 デビッド・ハミルトンの写真の一部。それから、吉田良氏の一部の人形。そのあたりに、少女の影がちらちらと見えるように思います。他は知りません。

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