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zoom RSS 雑記:ベネトンの広告から、流れ流れてつらつらと死のリアリティについて考える。

<<   作成日時 : 2007/08/09 11:01   >>

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 ベネトン、UNITED COLORS OF BENETTON.の「広告」(*1)について。
 広告の授業なんかで何度もスライドを見て、兵士の遺品の血染めの衣服の写真を使ったものと、まさに取り出されたばかりの、へその緒がついた赤子の写真を使ったものが頭のすみっこにこびりついてました。
 どうしてこれがベネトンの広告になるんだろう?というのもあるのですけど、基本的に「ひとを幸福にする、良い知らせ」としてあるものだと私が定義づけていたところの「広告」にしては、あまりにもひとを不快にさせるリスクが大きいと思ったのですよ。道を歩いていていきなり血染めのシャツを見せられたら、やっぱりたいていの人はびっくりするだろうし、人によってはその日たのしみにしていたデートがどんよりした気分で終わってしまうなんてこともあるかもしれない。それは幸福じゃないし、下手をすると「なんてもん見せてくれてんだベネトンめ!」ということにもなりかねない。
 …と、思ってたんですけども。
 長い目で見ると、なるほどベネトンのやったことってやっぱり「ひとを幸福にする」知らせなんだなーと、ふとさっき気づきました。兵士の遺品は、戦争の実際を伝えてくるものなので。世界のどこかで今日も戦争が起きて、普通の、赤い血の人が撃たれて、撃たれたら死ぬんだと、それが戦争なんだということをリアルに見せるということを、ベネトンがやったわけですわな。
 それで何が変わるかというと、見た人の意識が変わる…かもしれない。テレビで戦争の死傷者「数」を見て、国どうしの情勢なんかの話をするときに、ふとそれがリアルな「死」だと認識することで、何というか…すごく長期的に見たら、戦争がなくなる。かもしれない。
 そうするとどうなるかというと、ひとが幸福に、たぶんなる。その知らせだと思ったら、なるほどベネトンのやっていることはただのインパクト勝負ではなくて、広告であるわけです。本日やっとそのことに気づきました。
 赤子の写真は今でも苦手ですけど、でもあれもやっぱりなんかあるんだろうな。私の資質によりますけど、いずれ何かに気づけるかもしれないです。

 ベネトンから派生して、リアリティについて。
 特に有名どころのベネトンの広告をざっくり見たとき、人種差別問題や、H.I.V.や、宗教上の問題にはアンテナが低めな自分に気づきます。問題点に気づかなかったりする。「えーと、子どもが3人ですね。べーですね。」と思って、他の人の解説なんかを見てはじめて「ああ、人種は違っても舌の色は一緒って話ですか。失敬失敬。」と気づく。日本人だからなのか、ちょっと話が遠いです。(あと、こまごましたことを言って悪いですけど世の中って白黒黄以外の人種もいるんですよね。私の知る限り、アボリジニとか。こういうときにのけものになっていて気になります。)
 ベネトンが、もともとイタリアのブランドというのも一因と思います。黒人差別の問題や宗教問題よりも、私にはアジアの中の問題とか、あとは核の問題の方がリアルですから。
 原爆資料館にあるような写真が広告で使われていたら、認識も変わると思います。正直なところ私は見るのに勇気がいる。私は正規の手段で撮られた(というのもおかしな話ですが)死体の写真にはあまり抵抗を感じないんですけど、不思議なくらい核の関係は怖いです。日本で育ったからでしょうか。
 でも、たぶん他の国では、核兵器の被害に関してはあまりリアルではない気がします。米国でたまにはしゃいでますしね…昔、リトルボーイとファットマン型のピアスが販売されたというニュースを見て、「おまえら分かってねえぇぇぇ!!」と思ったことがあります。あれ販売中止になったそうですね。うん、確かに兵器に造形美があることは認めますけど、それはそれとして許さんぞ。広島平和文化センター理事長が、いま何気にアメリカ人(*2)だというのも気になってるぞ。正直どうかと思うぞ。

 更に、死のリアリズム。
 何というか…核の怖さは、後遺症と、あと人間らしく死ねないところです。消えるみたいに一瞬で姿ごとなくなるなんて、そんな死に方は人類史上なかったでしょうに。いくらなんでもひとの手に余る武器だと思います。
 銃も好きじゃない。生き物を殺そうとする時に、肉の手ごたえを感じないのはずるい気がします。何というか、リスクが小さすぎるというか、リアリティがなさすぎるというか。そのくせ、死ぬ方はけっこう苦しむんですよね。その落差は何だ。(造形は好きです。)
 …最近のテレビアニメにも、実は疑問を持っています。血の色がね、おかしいんですよ。蛍光ピンクだったり。出ないこともある。敵が人間じゃないという設定の場合、下手をすると死体が残りません。子どもへの配慮なんでしょうし、全てを否定はしませんが…ものによってはきちんと描いとけよ、と思います。血は赤。出すぎたら死ぬ。そして戻ってはきません。常識。そして事実。

 リアリズムから、自動車ほか手に余るものについて。
 現代、先進国での死はグロテスクなんだそうです。
 それは死体写真家のひとが言ってたことで、都会でよくある交通事故死とかの死体は、そうなのだとか。インタビューで、モータリゼーションの振興によって…と仰ってました。確かに、人間の力で戦っていた頃には、自動車や電車やその他の機械のような力で人を引き裂くことなんかできなかったわけで…おかしなことになってるなあ、と思います。
 かといって、知人を訪ねて3日歩く生活に戻りますかと言われたら、私はちょっと難しい。だって、自動車のある環境で育ってしまいましたから。せいぜい、安全に気をつけることくらいしかできません。
 事実を知ることに意味がある、のか。
 私は、自動車の運転ができません。免許を持ってない。教習所を中退しました。S字とかけっこううまかったんですけど、仮免の試験で次は一般道に出るというとき、とつぜん「人を殺すかもしれない」という変な恐怖に襲われて、運転を拒むようになりました。当時の精神状態の問題もありますけど、どうももともとそういうところがあるようです。「もっとスピード出して」ってよく言われた。私は、自分の制御できない速さで走るものを動かすのが怖くて仕方なかったです。それは当時から自覚があった。「馬ならいい」って、よく言いました。
 自動車の構造をよく知らないので、私にとって自動車はブラックボックス、ただ動かし方を知っているというだけのものです。それも、教習所に行っていた当時は身にもついていなかったから、本当に「知っている」だけだった。そんな分からんものが自分の足ではぜったいに実現し得ない速さで走るし、硬いし、運転者の身を守る仕組みはあるくせにぶつけた相手を守る仕組みはないし、それはこわいです。
 カンガルーバー(*3)のついた車、こわいです。その無知や無神経がこわい。あれは不可抗力でカンガルーをはねるときに、自分の方のダメージを減らすためにつけるもの。カンガルーのいない日本で、いちばんはねるのは人間だと思うのですがいかがか。サイズもだいたい合ってますよね。

 今回は特にオチも用意してありません。広島の8月6日につづき、長崎の8月9日。黙祷もしなかった私ですが、時期柄かふとベネトンの広告の意味に気づき、死のリアリティについて考えました。

(*1)ベネトンの広告、公式で。→ http://www.benetton.co.jp/company/ad.html
(*2)Wiki、スティーブン・ロイド・リーパー氏について。→http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC&oldid=13447242
(*3)Wiki、カンガルーバー→ http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%BC&oldid=13876991

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